1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットの講演会が行われようとしていた。
この映画は実話に基づいているようです。
即売会用の机に積まれた彼女の著書『ホロコーストの真実』を一人の男が手に取っていた。また、会場にはカメラを回している別の男の姿があった。
新刊「ホロコーストの真実」の講演&サイン会みないなイベントですね。
公演が終わり、学生が質問を始めた。「ホロコーストの否定論者とは闘わないのですか?」「否定論者とは話しません。相手するだけ無駄ですから」とデボラが答えると、後方の席に座っていたあの男が立ち上がった。
学生の多い講演会では明らかに違和感のある老人だ。
「議論もしないで侮辱するのか!?」そう叫んだ男はホロコースト否定論者、デイヴィッド・アーヴィングだった。
出ました!敵役!
彼は聴衆の前でホロコーストなどなかった、ヒトラーはホロコーストのこともユダヤ人虐殺も命令していない、命令書がないのだと主張し始めた。
講演会乗っ取り!
しゃべりまくることでデボラに話す機会を与えず「ヒトラーの命令書を持ってきたら1000ドルくれてやる!」と札束をかざし挑発するのだった。
講演会は大炎上!!
カメラを回していたのは大学関係者ではなくデイヴィッドが連れてきたマスコミの人間で、帰りのタクシーの中で、デボラが劣勢になっているように見える映像に「いいぞ」とアーヴィングはほくそ笑んだ。
マスコミは炎上が大好物! 古今東西、火に油を注ぐのがマスコミです(笑)
数年後、デボラにイギリスのペンギンブックス社から電話がかかってきた。アーヴィングが、彼女が出した本で侮辱され被害を被ったとし、名誉毀損で提訴したのだ。
ついに、宣戦布告!
裁判を受けてたつことになったデボラは弁護士アンソニー・ジュリアスと面会した。
頭脳明晰そうな弁護士
ジュリアスが言うには、アーヴィングがイギリスで提訴したのは理由があるとのこと。アメリカでは原告側に立証責任があるが、イギリスでは被告側が立証しなくてはいけないというのだ。
つまり、デボラがホロコーストはあったということを証明しなくてはならんのです 何とも理不尽というか可笑しな法律なんだな
弁護側はアーヴィングの日記の提出を要求。彼は承諾したが、本棚には何十年にものぼる大量の日記が収められていた。
四方の壁に収められた膨大な量の日記です。
デボラは自身も証言し、アーヴィングと対決するつもりだったが、ジュリアスは「あなたは証人台には立たない方がいい」と言います。
賢明ですね!
驚いて理由を尋ねると「アーヴィングの目的は裁判の勝ち負けよりも、あなたを侮辱し、辱めることにある。」「あなたの証言は彼を煽るだけ。彼にエサは与えない」とジュリアスは答えるのだった。
素晴らしい! 良い弁護士を雇いましたね。
さらに、ホロコーストからの生存者を証人台に立たせることもないとジュリアスは述べます。
その通り!アーヴィングが喜ぶような材料は一切与えないということです。
「彼らの声には耳を傾けるべきよ」とデボラは反論しますが、ジュリアスは、「ディベートのうまいアーヴィングは弁護士をたてず、全て自分で質問するつもりだ。」と説得する。
アーヴィングは、マスコミを利用して民衆を扇動することが狙いだ。
弁護人もそれぞれ役割が別れており、デボラは、法定弁護人のリチャード・ランプトンと面会した。彼はアウシュビッツへ行くと告げた。「なぜ行くの?」とデボラが聞くと「弁護方針だ」と答えが返ってきた。
法定弁護人がランプトンで良かったと、あとでわかる。
アウシュビッツではランプトンは遅れて現れた。これは巡礼ではない、証拠集めなのだという一貫した彼の態度にデボラはいささか反感を持った。
ランプトンは遅刻したわけではありません。 先に来て現場検証していたのです。
ナチスはホロコーストやユダヤ人虐殺の事実を隠蔽するため、施設を徹底的に破壊し、あらゆる証拠を隠滅していた。
広島の原爆ドームのように、今でも大切に保存されているようです。
2000年1月。王立裁判所の前には大勢の報道人が詰めかけていた。入廷するデボラに報道陣がインタビューを要請するが、ジュリアスは彼女にひと言も喋らせなかったが、その横でアーヴィングが得意げにインタビューを受けていた。
アーヴィングはマスコミにとって格好のネタになっていたのだろう。報道系バラエティ番組みたいな。
「法定で話さない君が記者に話せば、判事が気を悪くするだろう?」とジュリアスは言います。
なるほど! 賢明なアドバイスですね!
裁判が始まった。アーヴィングはデボラの著書で否定されたため、皆が私に背を向けるようになったと述べ、否定論者とは悪意のある言葉だと主張した。
アーヴィングは「自分は被害者なんだ」という立場をとったわけです。
ランプトンはアーヴィングの著書において、1977年の初版ではホロコーストの存在を認めているのに、1991年には否定している、その方向展開について説明を求めた。ロイヒター・レポートによるものだという答えにランプトンは「嘘を知りながらなぜ受け入れた?」と責めます。
ちょっと「ロイヒター・レポート」について調べてみました。 「『ロイヒター・レポート』は、アメリカ合衆国の処刑ガス室に従事していたフレッド・A・ロイヒター (Fred A. Leuchter) が1988年にアウシュヴィッツのいわゆる「ガス室」を調査した結果をまとめたレポート。「アウシュヴィッツとビルケナウの『ガス室』が処刑ガス室として利用された、あるいはそのように機能したと考えることは不可能である」と結論付けている。しかし、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされず、証言としての価値を認められなかった。」
一日目が終わったあと、デボラのもとに一人の老女が近づいてきた。彼女はホロコーストの生存者だった。
実際にまだいらっしゃるんでしょうね ホロコーストの生存者
「生存者を証人に呼ばないの? 私たちのグループが証言すべきだわ」と訴える彼女に、デボラは必ず呼ぶと約束する。しかし、弁護士たちに談判しますが「論点がずれる」「裁判では気持ちを癒せない」と拒否されます。
この裁判にとって「生存者の感情」はアーヴィングの標的にされると考えたのでしょう
次の法廷で、建築学者のロバート・ジャン・バン・ペルト氏が証言台に立った。彼はホロコーストの生存者から聞き取ったホロコーストの内部の構造を図面化したものを見せ、柱が四本あって天井を突き抜けていたことを証言した。
実話です。
しかし、アーヴィングは爆破されて倒壊した残骸の屋根の写真には4つの穴はないと主張し、ペルト氏が一瞬、言いよどむすきをついて「穴はなく、従ってホロコーストはない!」と叫びます。
この写真に写っていないだけで、実際にはあったのです。
すると、傍聴席にいたマスコミは一斉に立ち上がり法廷を出て行った。そして、テレビや新聞は一斉に「ホロコーストはなかった!」と大々的に報道しました。
マスコミは性急すぎます!
これに関してはいくらでも反論できる証拠もあったのだが、アーヴィングの印象操作にしてやられたのだった。
まんまとアーヴィングの罠にはまってしまったのです。
デボラは生存者に証言してもらうべきだと再度主張するが、ジュリアスは「アーヴィングに辱められる」として拒否する。「扉は左にありましたか、右でしたかといった細かいことをしつこく聞かれ、嘘つき扱いされる」と答えます。
アーヴィングに細かいところを質問攻めにさせられて、覚えていないとか忘れたとか言ったら「嘘つき」呼ばわりされるでしょうね。弁護団の冷静な判断です。
そして、アーヴィングが過去に生存者を辱めた映像を見せました。 アーヴィングは年老いた生存者に「その入れ墨であなたはどのくらい稼いだのかな」と言い、彼女を笑い者にしていた。
入れ墨とは、ナチスに入れられた認識番号の入れ墨のことです。
その日、ランプトンは、死体消毒のためにガスを送っていたというアーヴィングの主張の矛盾点を鋭い質問でつく作戦をとります。
ランプトンは、アーヴィングの顔を見ないで質問します。
ホロコーストがあったと言われている建物は防空壕の役割も果たしていたと述べるアーヴィングに「1943年の早い時期に空襲?」と疑問を呈し、「退避する前に爆弾をくらってしまうのでは? 宿舎から四キロも離れているのですよ」と指摘しました。
アウシュビッツまで行って現場検証した結果です。
「思いつきで語っている」とするランプトンの追求に、さすがのアーヴィングもたじたじになる。
ずっとランプトンは、アーヴィングを顔を見ないで質問しています。作戦です。
その夜、デボラの部屋にランプトンが訪ねてきました。「今日はお見事だったわ。彼の目を一度も見なかったわね」とデボラが言うと彼は「視線をはずして批判されるといらつくものだ」と答えました。
確かに! 視線を外されて会話するとイライラしますよね
ホロコーストに行った時、遅刻してくるなんて失礼だ、死者に対して薄情と彼に対して思ったものですが、今日の法廷で、あの時、彼が遅れてきたのは距離を測っていたせいだと知ったのです。彼女は無礼を詫びた。
わかればよろしい!
「私のやり方に落胆したことだろう」とランプトンは切り出し、言葉を封印されていることに対して不満を隠せないデボラに「法廷で彼の目を見つめて対決するか? 「皆のためにじっと法廷に座り、勝つために口をつぐむことを選ぶか?」と穏やかに語りかけました。「良心を他人に委ねる気持ちを想像できる?」そう言ったあとデボラは続けて「いいわ。応じる」。
二人の間に信頼関係が生まれた瞬間です。
次の公判で、ランプトンは、アーヴィングの著書の中の、ヒトラーが残していた通話記録について書かれた箇所を追求した。わざと「ベルリン」という言葉を抜かし、さも、ヒトラーが抹殺を止めたように見えるよう印象操作していると。
今のマスコミも大して変わらない 美味しいところだけ切り取って、お茶の間にお届けする操作です
その頃、弁護団の若手は、大量のアーヴィングの日記から裁判で使えるものを探していた。そしてついに該当するものを発見した。
これが重要な意味を持ちます。
ランプトンは、たびたびアーヴィングが差別発言をしていることを取り上げ、レイシストなのではと追求する。アーヴィングはそれを否定します。ただのジョークであり、差別ではないと。
アーヴィングは差別主義者以外の何者でもないでしょう。
ランプトンはここで彼の日記を取り上げます。それは9歳の姪の誕生日に彼が歌って聞かせたという歌の歌詞でした。非常に差別的な内容で、それを幼子に歌ってきかせるとは差別主義者以外の何者でもないとランプトンは指摘し、これにはアーヴィングも反論しきれなかった。
「9歳の姪の誕生日に彼が歌って聞かせた歌」はアーヴィングが幼い時から聴かされた歌、つまり、アーヴィングの人格形成に重要な要素となった歌だと思うわけです。
そして最終弁論となり、ランプトンはアーヴィングが証拠の微調整を行い、まっとうな歴史感を悪用し、ヒトラーを擁護、反ユダヤ主義を増長させたと論じた。被告側は誰もがこちらが勝つと確信しかけていました。
その時、思いがけないことが起こった。
判事が質問してきたのです。「彼は信じ込んでいるだけでは?」
アーヴィングが「9歳の姪の誕生日に彼が歌って聞かせた歌」こそが間違った歴史感、差別主義にさせた元凶だと思います。 間違っていようが世間離れしていようが、信じ込んでいるだけだろうということですね。
映画としてはこれがオチでも良かったと思う。
そしてついに判決の時が。法廷に入るデボラとアーヴィングにはどちらにも応援と罵声の声があがりました。
アーヴィングの応援団はネオ・ナチや極右の勇ましい面々です。
判事が入廷した。緊張の時。判決文が読まれた。それはアーヴィングを反ユダヤ主義者の歴史歪曲者と認定するものだった。デボラたちは勝利したのでだ!!
予想通り原告敗訴です。
記者会見で、ようやくデボラは口を開くことができました。「歴史を悪用するものから自由を守る。嘘と説明責任を果たさないのが許せない」と彼女は今後も自身の姿勢を変えないことを表明した。
勝利宣言
そして、「チームワークの価値を知りました。本当に素晴らしい人たちだった」と弁護団を讃え、「生存者と死者に言いたい。苦しみの声は届いたと」と語りかけたのだった。
本当に素晴らしい弁護団でした この弁護団ならどんな裁判でも勝てそうな気がします。
テレビのワイドショーを観ると、アーヴィングがまったく悪びれない様子でインタビューを受けていました。「まるで彼が勝者のようだな」と誰かが皮肉混じりのジョークを言った。
結局、アーヴィングは「信じ込んでいる」から裁判で負けようが気にしないわけです。差別主義が身体に染みついているゾンビのような精神の持ち主です。
街にランニングに出た彼女は、自由を守るために戦った歴史上の人物女傑ブーディカの銅像(戦いの女王)の前で足を止め、しばし見上げるだった。
映画としては、後半からアーヴィング自身も、ある意味、可愛そうな人だなと思えるようになったので、後味は良くなかった。