【インタビュー・サマリー】 ※誤字・脱字はご容赦を
■ オープニング
武田:よろしくお願いします。
田中:田中です。よろしくお願いします。今日はZoomでつないでいますが、武田さんとは実際にお会いしたことありますよね。
武田:ありますね。最後に会ったのは5年くらい前でしょうか。今回「田中祥子さんがゲスト」と聞いて驚きました。TBSラジオの国会担当記者・澤田大樹さんの本を、田中さんが編集されていましたね。あのときお世話になりました。
田中:はい。あれは武田さんから「一緒に本をつくりませんか」とメールをいただいて実現したものでしたね。もう4〜5年前でしょうか。
現在は単行本編集やウェブ連載の編集など、変わらず書籍づくりの仕事を続けています。
■ 書籍『博士が愛した論文』とは?
今回出版した『博士が愛した論文 ― 研究者19人が語る偏愛論文アンソロジー』は、研究者19名に「自分が愛してやまない一本の論文」を選んでもらい、エッセイ形式で語っていただいたものです。
帯には「頼む、この論文だけは私に語らせて」と大きく書かれていますが、まさにその通りの内容です。
企画を思いついたのは約15年前。JAMSTEC(海洋研究開発機構)で深海微生物を研究する高井研(たかい・けん)さんと仕事をした際、「論文は整然として見えても、研究者の個性や感情が行間ににじむ」と熱く語られ、それが強く印象に残りました。
そこから長い年月を経て、ようやく形になったのが本書です。
■ 1人目:高井研さんが語る「極限微生物」論文
高井さんが偏愛論文として選んだのは、1983年にNature誌に掲載されたジョン・バロス(John Baross)氏の論文。
日本語に訳すと、「少なくとも250℃で増殖するブラックスモーカー生息微生物」
という刺激的なタイトルです。
当時すでに深海熱水噴出孔(ブラックスモーカー)の存在は知られており、高温下でも生息可能な微生物の存在が示されていました。バロス氏はさらに高圧条件を用いて実験し、250℃という極限温度でも微生物が増殖可能であるという可能性を示したのです。
しかし翌年、反証論文が出てその結果は実験上の誤りの可能性が高いと指摘されました。
それでも高井さんは、研究を始めたばかりの時期にこの論文を読み、なぜ若いバロス氏がこれほど大胆な主張をしたのか、その後の“日陰の時代”をどう乗り越えたのか、研究者の野心や迷い、情熱とは何かを考える原点として、今も何度も読み返しているそうです。
■ 2人目:鳥類学者・川上和人さんの「野生のホイールランニング」論文
川上和人さん(鳥類学)は、オランダの生物学者ヨハンナ・H・マイヤー(Johanna H. Meijer)による 2014年の論文「野生下のホイールランニング」 を紹介。
回し車といえば飼育下のハムスターが走るものですが、森の中に回し車を置いたら野生のネズミも走るのか?という素朴な疑問を実験した研究です。
結果はなんと、「餌がなくても野生個体が自発的に走った」。この意外な結果が、川上さんの心を強く揺さぶりました。
川上さんは大人はすぐに「研究が何の役に立つか」を求めてしまう。しかし子どもの頃の“ケンケン”や“スキップ”のように「理由はなくても楽しいからやる」行動があると述べています。
「面白いから研究した」という原点こそ研究の価値――そう気づかせてくれた論文だそうです。
■ 3人目:中野徹さんの「神経幹細胞が血液になる」論文
大阪大学で発生学・幹細胞研究に従事してきた中野徹さんが紹介したのは、1999年 Science誌の論文。
神経幹細胞が、放射線照射したマウスの体内で血液細胞(造血系)へ分化したと報告した衝撃的な研究です。
通常、神経系と血液系は発生学的に全く異なるため、「そんなことは起こり得ない」と多くの研究者が考えていた時代です。
中野さんはこの論文の査読者でした。
常識からすれば否定すべき内容でしたが、提示されたデータのみを見る限り信頼できるとして、掲載を支持しました。
しかしその後、同様の研究が相次いで発表され、最終的には技術的な混入による誤認だと反証されました。
中野さんはエッセイで、当時の判断は間違っていたとは思わない、だが研究史全体を見渡したとき、今も「痛恨の歴史」として胸に残ると語り、研究者の葛藤そのものが強い印象を残す内容となっています。
■ 4人目:地質学者・西本昭治さんの「石が腐る」論文
地質学の西本昭治さんが紹介したのは、岩石が“腐る”(=風化する)現象を扱った論文。
「石が腐る」という表現に驚きますが、地質学の世界では風化をそのように言うことがあります。
西本さんは、奇妙な腐り方をする岩石を発見した際、過去の論文を読み返して「自分が見つけたものは、かつて海外の研究者が報告していた現象と同じではないか」と気づき、日本での確認例として研究を進めました。
さらにその論文を読んだ若手研究者が新たな事例を見つけるなど、論文を介して知識がバトンのように受け継がれていく様子を描いています。
■ 編集者として見えた「研究者の偏愛」
田中さんによれば、多くの研究者が「偏愛論文ならぜひ書きたい」と快諾し、驚くほど熱心に語ってくれたとのこと。
引用数が多い“偉大な論文”ではなく、研究者個人にとって人生を変えた論文こそが、この本に収録されているものたちです。
引用件数という尺度では測れない、“研究の原体験”と“物語”が詰まったアンソロジーとなりました。